HISTORY


【2005年】
音楽や都会への関心で東京に出てきた事から、この年の10月より、ライブハウスを始めとした音楽の集まりに顔を出すようになる。そして、そこで声と音楽に対する姿勢を見込まれ、ボーカルを始める。この頃から2007年4月までの約2年間については、2014年頃より“マルチスタイル大倉の前身体勢”として振り返られるようになる。

【2006年】
カバー曲でオーディションを受ける等で人前で歌う事に対するスキルを磨きつつ、バンドメンバーを探した1年となった。

【2007年】
1月にバンド結成を諦め、“一人バンド”をコンセプトとしたソロシンガーとして活動していく事を決意し、本名大倉佑介の名義にて活動開始。

4月に渋谷カブトにて初ライブ、7月には初路上ライブを敢行し、以降はライブバンド形式での音楽活動を展開する。また、理不尽なオーディション主催者に反抗すべく、破壊系パフォーマンスでオーディションに臨んだ結果、見事に盛り上がってしまったのもこの年の7月である。

カバー曲を引っ提げての活動であった為、この時期に関しては、後に本人から“マルチ初期”だけでなく“ カバー曲時代”とも呼ばれるようになり、2009年頃まで続いた。

【2008年】
4月に大塚RED ZONEに出演。以降、それまで路上ライブ主体だったライブ活動が、徐々にライブハウス主体のライブ活動へと変わっていく。

8月には就職しても音楽を辞めない自信が付いた事から、10月にフリーターとしてのラストライブを池袋手刀にて敢行する。

11月に就職。試用期間の合間にはオリジナル曲を製作すべく、トラックメーカー探しを行う。

【2009年】
複数名のトラックメーカーとの出逢いがあり、2009年の音楽活動を制作活動優先とする事を1月に発表。

2月に社会人としての初ライブを沼袋サンクチュアリにて敢行。就職した反動により、この日より、衣装がネクタイスタイルの衣装となった。

4月より、当時お世話になっていたイベンターさんのイベントへ出演した事をきっかけに、大久保ホットショットをホームにした活動を開始。大久保時代はこの時より、2011年末まで続く。

6月〜8月には都内ツアーという形ではあるが、自身初となるコンセプトツアー 大倉佑介 ライブワールド 新曲暴投祭を開催。オリジナル曲をライブで初披露し、それらと共に、都内各地を盛り上げたツアーとなった。

新曲暴投祭ツアー終了後も、引き続いて楽曲制作に取り組んでいく。

本人は後に、この期間の事を、また製作に優先を置く可能性があると予想した頃から“第一次製作優先期間”と表現している。

11月にFRIEND、手紙のトラックが完成し、オリジナル曲が5曲になった為、初めてオリジナル曲だけでセットリストを組む都内ツアー プロジェクト(プロジェクト名は無い)を慣行した。

【2010年】
大倉佑介 ライブワールド Super Attack Project 2010 〜絆〜 の先行祭を1月〜3月に開催、4月より本編をスタートさせる。

本編初日のオープニングで初披露した楽曲のタイトルがパフォーマンスとして定着していたエアギターであった為、会場内では大きな笑撃が走った。

タイトルの2010が、2010年度の1年間の事を指す為、2011年の3月まで開催する事を発表。当初はライブプロジェクト開催と発表されたが、この時期より、地方公演も精力的に行われるようになった事から、最終的にはツアーと呼ばれるようになる。

本編スタートを期にネクタイスタイルによる衣装が2009年以前のスタイルに戻った。

また、2009年に出会った赤坂CLUB TENJIKUがホームとなったのも、本編がスタートした時期であり、この時より赤坂時代がスタートする。2013年4月まで続く。2011年末までは大久保時代と並行する形で展開された。一方、大久保ホットショットでは、忘れ物をきっかけに会場のスタッフさんと仲良くなり、ブッキングへも出演するようになった。

ツアー中である9月には全A面となら1st single 1Summer Beach 2HOME〜戻れる居場所〜3闇から光へ がリリースされた。

【2011年】
↑change to ahead↑をこの年のテーマと決める。以降、その都度、目標の他に何らかのテーマを設定した上で音楽活動に取り組むようになる。

3月には東日本大震災が発生し、絆ツアーのファイナルの中止を発表。チャリティーライブのオファーに対して“こんな時に歌っていいのか?”と葛藤していたが、応援の後押しによる力もあり、オファーを引き受けた。

同年4月、絆ツアーのファイナルを8月に延期する事を発表。ここまで先伸ばしになってしまった理由は、2010年の段階で決まっていた、4月〜7月に開催される、大倉佑介 ライブワールド 第二回新曲暴投祭↑change to ahead↑ツアー(※通称changeツアー)のスケジュール、特に新曲暴投祭ツアーでのお約束としていた、地方でのツアーファイナルといった部分を、どうしても変更したくなかったという意志が強かった為である。

4月〜7月にはchangeツアーを予定通りに開催する。ツアーファイナルは7月9日(土)心斎橋FANJにて開催された。

同年7月、当時の赤坂CLUB TENJIKU スタッフと共に、イベンターグループを、名前無き形で結成する。

8月には始めての主催イベントを絆ツアーファイナルに合わせて大久保ホットショットにて開催。その中で活動名義をマルチスタイル大倉へと改名。絶妙なブッキングセンスと本人のモチベーションが合わさって大成功となった。

9月と10月には7月に赤坂CLUB TENJIKUサイドで結成したイベンターグループとしてイベントを開催。メンバー間の相思相愛な関係もまた、多くの人を魅了したかが、10月を持って、オリジナルメンバーであったスタッフの退職に従い、イベンターグループのメンバーチェンジが決定した。

12月には価値観のすれ違いを理由に 大久保ホットショットから卒業、それに従い、大久保時代が終幕していた事を発表。

【2012年】
この年のテーマを“クレイジー”と設定する。(イベント、DJ等、色々な事にトライする為)年明け〜3月まで、ライブ活動と平行してレコーディングを行う。

4月6日(金)イベンターグループをパーティーマルチと命名。パーティーマルチの第二期メンバーは当時の赤坂CLUB TENJIKUのスタッフといった新体制で再スタートさせる。同日、オリジナルジャンルへのチャレンジを始め、様々なモノや事がリニューアルしたマルチスタイル大倉を提唱していく為のツアー、マルチスタイル大倉 ライブワールド 新曲暴投祭 提唱〜クレイジーキャノン〜 ツアー(※通称提唱ツアー)をスタート。新曲暴投祭の番外編ではありながらも、新曲暴投祭ツアーの特徴でもある 地方でのツアーファイナルという拘りは本編からしっかり引き継がれた。

6月には盟友、ジュークボックス氏を迎え、パーティーマルチ×ジュークボックスという形での共催イベントを開催。ジュークボックス氏のパワーも含めて、大盛況となる。

7月にはパーティーマルチとして、赤坂CLUB TENJIKUのブッキングイベントとも共催し、こちらも大成功となる。

9月21日(金)に待望の1stミニアルバム“エアギター”をリリース。同日、このミニアルバムを引っ提げたレコ発ツアー、“マルチスタイル大倉 ライブワールド2012〜2013 エアギター レコ発ツアー”をスタート。絆ツアー以来、1年振りとなる大型コンセプトツアーとなった。

11月にはパーティーマルチとして、盟友、シンガーIKとエルバルバのbirthdayイベントを開催し、大成功を収める。


【2013年】
元旦早々より、会場との方向性のすれ違いを理由に、エアギターツアーファイナルを最後に、赤坂CLUB TENJIKUから卒業する事を発表する。同日、ホームページの日記にて、この年のテーマがライブ活動でのホームが無くなる為、“FREE CITY”(自由、フリーである事とマルチが好きなブランド、フリーシティを掛け合わせた表現)である事、2014年に生誕30周年記念ツアーを計画している事を発表する。以降、下北沢時代がスタートするまで、マルチスタイル大倉は “もうホームを持つ事はないだろう。”と、言われるようになる。

2013年4月6日(土)にはエアギターツアーがファイナルとなる。同日、赤坂CLUB TENJIKUから卒業し、パーティーマルチの第二期メンバーも解散となった。当日のMCにて レギュラー陣やスタッフ陣へ想いを引き継いで卒業した。

5月より、ホームとするライブハウスが無くなった事を理由に、ライブ活動での新体制を模索する都内ツアー、マルチスタイル大倉 ライブワールド2013 フリーシティー(※通称フリーシティーツアー)をスタート。当初は長引く事が予想されていたが、下北沢MOSAiCとの出会いがツアー初日であった為、7月13日(土)あきたいぬ 盟友ジュークボックス氏の主催イベント内にて、突発的な形でファイナルとなった。

10月には第3期パーティーマルチをイベンターではなく、マルチスタイル大倉のマネジメント 及び “動くライブハウス”をテーマにしたアーティスト応援団体という形にて始動させる。


12月には2014年のツアーファイナル開催地 及び 新しいホームが下北沢モザイクである事を発表し、下北沢時代をスタートさせる。

“もうホームを持つ事はないだろう。”と、言われ続けてきたマルチスタイル大倉がまた、ホームを守るという事で、大きな話題となった。


【2014年】
マルチスタイル大倉 ライブワールド 生誕30周年記念プロジェクト LINK MY SOUL -俺は絶対に音楽を辞めない!!- ツアーがスタート。

絆ツアー以来、1年規模のツアーではあるが、絆ツアーとの一番の大きな違いが三部構成である事でも話題となった。

“生誕30周年だから…”と、いった理由から、衣装スタイルが2009年のネクタイスタイルを進化させた、メモリアル仕様となる。

第一部、新曲暴投祭編では、ライブの定番が大きく変わる事となった。


4月9日(水)下北沢モザイクにて、2nd mini album LINK MY SOUL をリリース。同日、LINK MY SOULツアー第2部、LINK MY SOULレコ発編がスタート。

10月19日(土)あきたいぬ 盟友ジュークボックス氏のイベント内にて、これまで謎であったLINK MY SOUL ツアーファイナルシリーズのコンセプトがライブDVDのリリースツアーである事、そのライブDVDの製作にジュークボックス氏が携わっていた事が明かされた。

11月3日(日)練馬be bornにて、LINK MY SOULツアー第三部 1st LIVE DVDリリースツアースタート。

12月20日(土)下北沢モザイクにて、LINK MY SOULツアーファイナルを3年ぶりのアーティスト主催、マルチスタイルフェスティバルとして開催し、大成功を納める。尚、同イベントのマルチのライブではサプライズとして1曲目に3rd ミニアルバム シンより FUCK DOWNが先行 初披露となった。

【2015年】
1月1日(木)ネタが膨大化してしまった事を理由に、2009年以来6年振りに、製作に優先を置いて活動していく事を発表する。尚、この製作優先期間については本人によって“第二回製作優先期間”と命名された。この期間も“最低月1”の意地の元、ライブ活動を展開していく。

1月17日(土)あきたいぬにて 2015年初ライブを行った際、100円SHOPのサングラスを着用し、その事をネタに笑いを誘ったMCや面白可笑しい風貌が好評を得る。以降、サングラスがトレードマークとなる。

1月26日(月)下北沢MOSAiCにて 約6年振りに全曲カバー曲でのライブを行い大好評を得る。

7月18日(金)第二回製作優先期間の中間報告を行い、その中でサウンドシステムの変革があった事、秋にショートツアーを行う事を発表する。

8月24日(月)下北沢MOSAiCにて
マルチスタイル大倉 ライブワールド
第四回新曲暴投祭 -シン- ツアー
がスタート。11/1(日)仙台bird landにて千秋楽を迎える。


【2016年】
3月14日(月)影マルチ シンと対なる存在の光マルチ ピエロの存在とそれに従うビジュアル写真が公開。光をイメージした坊主ヘアは大きな反響が生じた。
同日、2017年にシンとピエロ、二枚のミニアルバムが同時リリースされる事も発表された。

2016年春 LINK MY SOULツアーで着用したカラーパンツが衣裳として復帰する。サングラスも引き続き着用した為、風貌が更に面白可笑しいエンターテイナーみたいになる。この時から少しずつ、カラーパンツとサングラスがトレードマークのイメージが強くなっていく。

2016年7月18日(月祝)〜9月18日(日)
マルチスタイル大倉 ライブワールド
第五回新曲暴投祭 ピエロ
開催
9月18日(日)福山music factoryにて千秋楽。

2016年12月23日(金) 仙台bird landにて 2016年最後のライブを慣行。


【2017年】
3月18日(土)
マルチスタイル大倉 ライブフェスティバル2017
W
〜シンとピエロ2枚同時レコ発ツアー〜
通称Wツアー 開催発表

3月25日(土)
Wツアー 宣伝CMをYouTubeにて配信
CMソングには (当時の)新曲であるW〜光と影〜を起用し、事実上の新曲発表となった。

2017年5月
Wツアー スタート

2017年12月
シンとピエロ レコ発ツアー
ツアーファイナル

活動10周年記念ライブ
下北沢MOSAiCでの開催を計画中!

【2018年】

【2019年】




















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