DICTIONARY 〜マルチ辞典〜

[マルチスタイル大倉 ライブワールド2012〜2013 エアギターレコ発ツアー](1/1)

マルチスタイル大倉 ライブワールド2012〜2013 エアギターレコ発ツアーとはマルチスタイル大倉が2012年9月〜2013年4月に開催したコンセプトツアー、通称エアギターツアーである。

【コンセプト】
その名の通り、初のミニアルバムであるエアギターを引っ提げて慣行したツアーであり、大型タイプのコンセプトツアーとしては絆ツアー以来、1年1ヶ月振り、二度目となった。基本的には常時、毎月最低一回はライブ活動を展開している為、レコ発ツアーならではの特徴を検討した結果、アルバムはツアー中のみ無料配布とする事が決まり、更にツアー中にはそれが故にステージからアルバムが飛んでくるというパフォーマンスも披露された。これらは後のレコ発ツアーにも引き継がれており、本人曰く『無所属の趣味志向シンガーであるうちはレコ発ツアーでのお約束にしたい。』との事である。また、この事をきっかけに、コンセプトツアーとそうでない時の差別化を強く意識しながら、コンセプトツアーの企画、製作に取り組むようになった。セットリストはアルバムの曲が中心だがそのアルバムが新曲主体、コンセプトアルバムではない為、結局は絆ツアー同様、集大成のようなセットリストとなった。


【ツアー期間】
2012年9月〜2013年4月に開催された。当初は2012年12月迄の開催で検討していたが本人のモチベーション向上を理由に2013年4月迄、開催期間が延長された。


【ツアーファイナルについて】
本人曰く『マルチ史上、最もトラブルが多かったツアー。』であったが、その中でも最大にして最後のトラブルが当時のホームであった赤坂TENJIKUからの卒業であった。ツアー中盤戦にあたる2013年1月に、このツアーを最後卒業する意向と、その理由が “会場との方向性のすれ違い” である事が発表された。当時、店長の交代による方向性のすれ違いが大きく噂されていた。後年、本人もその噂が事実であった事を認めているが、交代後の店長に対しては『感謝している部分は沢山ある。』と語っている。


尚、このタイミングで卒業になった経緯については、2012年春先、マルチが憧れていたバンドが、当時開催していたレコ発ツアーファイナルを最後に解散する事を発表し、実際にその解散ライブに足を運んだ時の影響があった。

その僅か数ヵ月後にあたる2012年夏には卒業の意思を固めており、後は卒業のタイミングを決めるだけの状態となっていた。

意思を固めた段階で卒業し、ツアーファイナルは別の会場で行っても何ら問題の無い状況ではあったが、その時の解散ライブ絡みの事がまだ脳裏に焼き付いていた影響から、マルチ自身もツアーファイナルの中で卒業する事となった。


このような経緯で卒業のタイミングを決めた為、本人も『卒業を発表した時のコメントが、気づいた時には僕らしい文章ではなく、そのバンドさんが解散を発表した時のコメントに似た文章になってしまった。』と語っている。2017年になり、活動10周年という理由で過去の活動を振り返る中で『そのバンドさんの影響を強く受けている事を改めて自覚しました。』と、語っている。


〜2013年4月6日(土)に開催された理由〜
ツアーファイナルが2013年4月6日(土)に開催された理由については、当初は2012年4月6日(金)にデビューした第二期パーティーマルチが一周年を迎えた時の為にと、マルチ自身が当日のかなり前からホールレンタルを仮押さえしていた日であった。しかしツアースタートの直前にあたる2012年8月、TENJIKUとマルチの間で方向性のスレ違いが生じた事を受けて検討を重ねた結果、上記にある 憧れのバンドさんのツアーファイナル 兼 解散ライブから受けた影響の強さ、ツアーに対するモチベーションが高まった事でツアー期間を当初の予定にあった12月迄でなく、偶然にも春頃に延長したい想いが強くなった、といった心境の影響から、卒業式という概要のイベントに切り替える形で、2013年4月6日(土)のホールレンタルの仮押さえを正式決定させる事となった。ローカルアーティストの長期間ツアーでありながら、事前にツアーファイナルが決まっていたのはこのような事情があった為であるが、この事がきっかけとなり、以降の大型 長期間のコンセプトツアーでもなるべく事前にツアーファイナルの日時が出せるようにと意識するようになった。本人は『まさかこのような事になるとは思わず、悲しかった。』と、語りつつも『だからこそ、強くなれた。』と、語っている。


【ツアー中のエピソード】
※上記の赤坂TENJIKU卒業騒動の他にも衣装の盗難、ツアーファイナルの悪天候など、トラブルが多いツアーとなった。しかし本人は当時、LINK MY SOULの製作活動も同時に行っていた為、大変、辛いといった感情を抱いている暇がなく、落ち着いた時には“笑って話せる良い思い出!”と、ケロっとしていた。尚、これらの出来事がきっかけで閃いた楽曲や楽曲製作に対するアイデアは余りにも膨大であり、2015年に実施された“第二回製作活動優先期間”が勃発した最初のきっかけ、理由にもなった。

※ツアーファイナルはマルチの盟友でもおあるジュークボックス氏との共催となった。尚、ツアーファイナルが共催である事は日程とは違って事前ではなく、2013年明けに発表されている。ジュークボックス氏との対談を掲載した読み物、マルチスタイルマガジンが配布された。尚、マルチスタイルマガジンは活動初期にも1度だけ配布されており、約5年振りの配布となった。これを期にマルチスタイルマガジンは不定期的ながらも配布が再開された。


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