DICTIONARY 〜マルチ辞典〜

[オリジナル曲の歴史](1/1)

初期の頃はトラックメイカーさんを始めとした、製作活動関係で人脈がなかった為、カバー曲を歌う形でライブ活動を展開していた。

2009年に漸く、トラックメイカーさんとの繋がりを得て、この時期よりオリジナル曲の製作活動も行うようになる。またこの出来事の反動から、2009年は製作活動に優先を置いて活動しており、楽曲の製作前には10曲のオリジナル曲を作ってからライブシンガーとしての活動を再開すると目標を立てていた。
(ただしオリジナル曲が3曲出来た時点で、都内限定ではあるが初めてのコンセプトライブツアー、新曲暴投祭という、新曲披露会のようなツアーを開催する形にて、一時的にライブシンガーとしての活動を再開している)
本人は2013年頃、このような時期がまた来ると予想した事を理由に2009年の活動を第一回製作活動優先期間と呼ぶようになった。また、この時期の楽曲はオリジナル曲第一期と呼ぶようになっている。

本人が第二期オリジナル曲と呼んでいる楽曲は、2010年のライブ活動の合間に製作を行い、その時の楽曲を引っ提げたコンセプトツアー、大倉佑介 第二回新曲暴投祭 ↑change to ahead↑ツアーを2011年4月〜7月に開催している。

その後、イベンターとしての活動を得て、ブッキングマネージャーとしてのスキルが大きく覚醒し、その反動でセルフプロデュース能力も大きく進化した。

本人が第三期オリジナル曲と呼んでいる楽曲は、2014年開催の生誕30周年記念ツアー LINK MY SOULツアーに向けて製作された楽曲であり、上記の出来事を得て製作された事もあり、ライブの定番に大きな影響を与えており、それまで必ずといっていい程求められており、代表曲でもあったエアギターがライブであまり披露されなくなるという事態が生じる程の影響が出た。

以降はライブの定番に大きな影響を出す事を意識しながら慎重に製作活動を行いたい気持ちが強くなったとの事。

本人がオリジナル第四期と呼んでいる楽曲は2015年に製作された。今まで明るい楽曲が多かった反動から暗い楽曲へのチャレンジをテーマに製作され、ライブでは最初こそ戸惑われたモノの、最終的にはライブでの定番を変える事に成功した。


【2016年以降の製作活動について】
マルチ自身は、2016年以降、楽曲の製作、発表について、ゆっくり、慎重に、取り組んでいく方向性を2014年頃から決意していた。

その理由を本人は下記のように語っている。

『今までの楽曲が飽きられていない。新曲を求められていない。そんな中で新曲を沢山発表したら、皆が残念がったり混乱したりしてしまうと思ったし、僕自身も改めて、今までの楽曲と向き合いたい気持ちが強くなったんです。』

『その分だけ、未来の新曲は、慎重にゆっくりペースの製作でも許されるし、慎重にゆっくりやるからには、ライブの定番を大きく変えてしまう位の新曲を作りたい。過去の曲ばかりを求められるアーティストにはなりたくないし、新曲でライブの定番を変えると強く意識するだけでも凄く楽しいんです。』



- 6 -
前n[*][#]次n

/22 n

⇒しおり挿入


[←戻る]